桂川ストーリー
Katsuragawa Story
不妊治療への想い
院長の桂川浩です。2002年、桂川レディースクリニックは産婦人科・不妊治療を併設するクリニックとしてスタートしまた。当時、不妊治療を行うのは、大学附属病院や、東京・大阪の都市部にあるごく少数の個人クリニックでした。しかし私は大津市民病院の産婦人科部長時代に、滋賀県の公的病院では初めての「不妊治療施設」を院内に作り、治療実績を上げてきました。そこで自身が開業するにあたり、産婦人科だけでなく、ライフワークとして不妊治療に取り組もうと心に決めました。
開業してからは、たくさんの患者様にお越しいただき、一人目不妊だけでなく、二人目不妊、難病治療後に赤ちゃんが欲しいと切望される方など、多くのご夫婦に関わらせていただき、不妊治療を通してより良い人生をサポートさせていただきました。治療成績とともに患者様は増え続けました。ところが、リラックスしていただきたいはずの待合室が混み合い、逆にストレスになってしまうという状況が生まれ、心苦しい時期がありました。そこで2014年、不妊治療のための新棟:ラーゴ(イタリア語で湖の意味)を開設しました。
ラーゴは、清潔感があって美しい建物です。リラックスできる待合室やカウンセリングルームを備えています。治療成績に直接影響を及ぼす採卵室や胚培養室などの設備、最新の医療機器など、従来の不妊治療クリニックの水準を超える治療環境を整えることができました。
そして2019年4月、当院の治療成績が評価され、日本生殖医学会の認定研修施設に指定されました。これは、生殖医療専門医を目指すドクターに対して、私が培った知識・技術のノウハウを余すところなく指導させていただくというものです。
生殖医療との出会い、アメリカでの研究
振り返れば、私と生殖医療との出会いは、31歳の時でした。京都大学産婦人科の森 崇英教授にご推薦いただき、厚生省の海外研究者としてアメリカに国費留学をしたのがきっかけです。留学先は、オハイオ州立大学生殖免疫学のRote教授の教室。ここでの基礎研究が、流産死産を繰り返す不育症、習慣流産等を引き起こす抗リン脂質抗体症候群だったのです。研究を指導してくれたのは Dr. Lyden。まだ日本では不妊治療など話題にも上らない頃、アメリカでは積極的に研究が行われていました。私もその一員として、胎盤からの細胞の分離方法、培養、免疫染色法、スライドフィルムの現像など、基礎研究や生殖医療を一から十まで教わりました。
毎週末にリサーチカンファレンスがあり、1週間の研究成果を10分~15分程度で発表しなければならず、大変だった事を今でも覚えています。カンファレンスの後は、Rote教授と個人面談があり、リサーチの内容や今後の方向性について1時間ほど指導を受けていました。毎月、外部から講師を招いての講義もあり、常にアップデートされた最先端の内容でした。必死で食らいついて勉強していました。
とはいえ、着いた当初は「なんでアメリカに来たんだろう…」と後悔していたんです。当時はジャパンバッシングの一番きつかった時で、正直不安でした。当然コミュニケーションは英語です。ピザのデリバリーを頼んでも配達されず、空腹と時差と寒さにやられていました。4歳と2歳の息子たちは1ヵ月間ほど時差ボケ状態で、夜中に起きてはベッドでピョンピョン跳ねて遊んでいましたね。今では懐かしい思い出です。
1年後には、ラボの仲間の世間話をすっかり聞き取れるようになり、研究も論文を書くまでになりました。帰国後は京都大学産婦人科「生殖免疫グループ」に所属し、生殖医療に深く関わるようになりました。
桂川クリニックでできること
それから長い歳月が経ち、私はずっと生殖医療に関わり続けていますが、不妊治療も検査も常に日進月歩であり、1年前の常識だった事が、非常識になることもあります。欧米の論文や学会、海外の専門医とのネットワークなどで、いち早く最新の情報をアップデートし、最先端の技術とこれまで培ってきた実績を駆使して、治療に当たっています。また、治療を受けられるカップルの置かれている状況、不妊の原因なども様々ですので、個別に手厚くケアしています。
妊娠された後、出産まで引き続き受診して頂けるのは、産科併設のクリニックならではの安心感だと思いますし、医師の私としてもやりがいがあります。産科医療から不妊治療まで、34年にわたる臨床経験を活かして、患者様に最高の医療を提供させていただきますので「赤ちゃんができない」とお悩みの方は、どうぞお気軽にお越しください。桂川レディースクリニックは、全力でサポートさせていただきます。
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