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Ninkatsu Column

桂川レディースクリニック院長に聞きました!「不妊治療への想いの原点」

矢田 恵/胚培養士
矢田 恵/胚培養士

今回は、みなさんが聞きたいけど聞けないこと…
(時々聞いてこられる方もいます!)を詳しく尋ねてきました!(^^)!

Q.桂川院長と生殖医療との出会いのキッカケはあるのでしょうか?

桂川院長:実は、もう30年以上も前になりますが、
京都大学産婦人科の森 崇英教授にご推薦いただき、
厚生省の海外研究者としてアメリカに国費留学をしたのがきっかけです。

Q.森崇英教授といえば、私たちが手にする不妊治療の参考書の著者、
監修をされている「森崇英教授ですか?」

桂川院長:そうです。すばらしい教授です。

Q.そうだったんですね。アメリカのどちらに行かれたのですか?

桂川院長:オハイオ州立大学生殖免疫学のRote教授の教室でした。

Q.オハイオ州。名前は知っていますが…(^^; 
生殖免疫学? なんだか難しそうに聞こえます。
もう少し詳しく教えてください。

桂川院長:流産死産を繰り返す不育症、
習慣流産等を引き起こす抗リン脂質抗体症候群の基礎研究でした。

Q.なるほど。今では臨床で用いられている「抗リン脂質抗体症候群」の
基礎研究ですね。

桂川院長:研究を指導してくれたのは Dr. Lyden。
まだ日本では不妊治療など話題にも上らない頃、
アメリカでは積極的に研究が行われていました。
私もその一員として、胎盤からの細胞の分離方法、培養、免疫染色法、
スライドフィルムの現像など、基礎研究や生殖医療を一から十まで教わりました

Q.30年以上前といえば、日本での不妊治療は「まだまだ特別」でしたものね。
もちろん、「英語」での生活ですよね笑。

桂川院長:当然コミュニケーションは英語です。
ピザのデリバリーを頼んでも配達されず、空腹と時差と寒さにやられていました。
4歳と2歳の息子たちは1ヵ月間ほど時差ボケ状態で、
夜中に起きてはベッドでピョンピョン跳ねて遊んでいましたね。
今では懐かしい思い出です。

Q.(笑)日常生活の英語も大変だと思いますが、
英語コミュニケーションでの研究は、かなり大変だったと思います。
どんな思い出がありますか?

桂川院長:毎週末にリサーチカンファレンスといって、
1週間の研究成果を10分~15分程度で発表しなければならなかったことですね。
カンファレンスの後は、Rote教授と個人面談があり、
リサーチの内容や今後の方向性について1時間ほど指導を受けていました。

Q.うわ~。日本語でもエネルギー消耗しそうです…
どうして、そんなに頑張れたのですか?

桂川院長:どうしてでしょうね。
不安や大変さより面白さの方が大きかったのだと思います。

Q.面白さとは、基礎研究のことですか?

桂川院長:基礎研究も面白かったのですが、
その教室では、毎月、外部から講師を招いての講義もあり、
常にアップデートされた最先端の内容を吸収することができたのです。
日本に持ち帰って役にたちたい! 
と、必死で食らいついて勉強していました。

なるほど。今でも朝早くから欧米の論文を読まれたり、
不妊治療を行っている先生や海外の専門医とのネットワークなどで、
いち早く最新の情報をアップデートすることは、
この頃から習慣づいていたのですね。

Q.英語のコミュニケーションは慣れていきましたか?

桂川院長:1年後には、ラボの仲間の世間話をすっかり聞き取れるようになり、
研究も論文を書くまでになりました。
帰国後は京都大学産婦人科「生殖免疫グループ」に所属し、
生殖医療に深く関わるようになりました。

桂川院長、ありがとうございました。

今回は『桂川院長が生殖医療に深く関わるようになった原点』のお話でした。

インタビューはまだまだ続きましたので、
またの機会に掲載したいと思います。

通院患者さんも感じておられると思いますが、
桂川院長って、どんな質問でも面倒な顔をすることなく、
丁寧にゆっくりお話ししてくださいます。

あっという間の時間でした。またお話したいと思います!